専門学校は様々な年代の方が在籍しています。
その中でも、社会人の方がどのようなきっかけで言語聴覚士を目指したのか。
そのきっかけは様々ですが、知りたいと思ったことはありませんか?
また実際入学してみてどうだったのか、在学から就職に至るまでを、
2017年に本学科を卒業した吉森 健さんにお話を伺ってみました(^◇^)
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私は昔から「徳洲会の徳田虎雄元理事長」にあこがれており、医学の道を志しておりましたが、
努力不足で一度は諦め、半導体製造装置メーカーのエンジニアとして、長年仕事をしてきま
した。その仕事もある程度極めた30歳代後半、ふと自分の人生を振り返った時に、本当にした
かった仕事は何だったのだろう?と自問自答しました。そこで一度は諦めた医学への道へ再度
挑戦しようと、前の仕事を辞めて再度その道へ進む道を模索しました。その中で、私が学生
だった頃はまだ資格化されてなく、「食べる事が大好き」との私の性格、「高次脳機能という、
まだまだ未開の分野」に挑戦したいとの想いにマッチしたのが言語聴覚士という仕事でした。
正直この歳になって、現役生に混じって勉強することに不安が無い訳ではありませんでしたし、
業種が違えば常識が非常識になる場合もあり得るなど、業種間のギャップがあることも重々承知
の上で第一リハの門を叩きました。
当初こそジェネレーションギャップを感じた時期もありましたが、学校の先生方、先輩方、
クラスメイト、そして実習指導でお世話になったSTの先生方等、様々な人の支えによってSTに
なる事が出来ました。支えて下さったすべての関係者に、今でも感謝の気持ちで一杯です。
同期のSTや学校の先生方には今でも定期的に相談・連絡出来る関係です。
卒後は鹿児島本土の病院に就職しましたが、離島・僻地での医療に携わりたいとの思いで、
今は奄美大島の最南端、瀬戸内町の医療法人徳洲会瀬戸内徳洲会病院に勤務しております。
瀬戸内町は人口8500人程度の小さな町ですが、病院は当院しかなく、町内のSTも私一人です。
対象患者の年齢層も広く、一番年下は3歳、一番年上は103歳のリハビリをさせて頂きました。
言葉がはっきり言えるようになって笑顔になる子どもさんやその保護者さん、また美味しく
ご飯を食べられるようになった高齢者やそのご家族の笑顔、それらすべてが喜びであり、
やりがいです。
これから先、言語聴覚士を目指す皆様。感謝の言葉ほど嬉しいものはありません。
社会人からまた別の道を選択する事は容易ではないと思いますが、この喜びをいつか分かち
合える仲間になれたらいいなと、心より願っております。